黒田官兵衛のあの兜が気になって調べてみたんですが、戦国時代の兜って結構はっちゃけたやつが多かったみたいですね。
面白かったのでちょっと紹介したいと思います。
黒田官兵衛 銀白檀塗合子形兜(ぎんびゃくだんぬりごうすなりかぶと)
まずは発端となったコレ。官兵衛の銀白檀塗合子形兜。見事なお椀ですね~。
これは婚礼の際に光の実家、櫛橋家から贈られたのだとか。
黒田長政 銀箔押一の谷形兜(ぎんぱくおしいちのたになりかぶと)
お次はこちら。官兵衛の息子、黒田長政。ドラマではまだ5歳のやんちゃ盛りでしたが、元服後はめきめきと才能を伸ばして戦場でも活躍します。
長政のこの兜も結構有名ですね。竹中半兵衛から福島正則を経て長政の所有となったもの。
前から突風が来たらヤバくね? つーか、馬で走ると風圧で首やられると思うんだが・・・
ちなみに一の谷形兜は長政以外にも多くの武将が所有しています。これは源義経の一ノ谷の戦いをイメージして竹中半兵衛が考案したものらしく、義経の活躍ぶりに自信を重ねて戦勝を祈願する意味合いが込められてるのだとか。天下分け目の関ヶ原の戦いでは家康も一の谷をかぶっていたらしいです。
ただし、長政以外はあまり面積が広くないです。長政のはマジで広いです。
黒田一成 銀大中刳大盔旗脇立頭形兜(ぎんおおなかぐりおおたてもの わきだてずなりかぶと)
長政の弟として育てられた官兵衛の養子、黒田一成です。
元は荒木村重の家臣の子で、まだドラマでは話が進んでいませんが、村重が信長に反旗を翻して滅ぼされた後、官兵衛が引き取ったとのこと。官兵衛は多くの養子を引き取ってるんですよね。
黒田二十四騎の中でも精鋭の黒田八虎にも数えられ、戦場でも数々の戦果を上げつつ思慮も深いため、官兵衛・長政父子には頼りにされていたようだ。
忠誠心熱くて思慮深く、さらに性格も大人しいらしいんだが、兜だけは自己主張が強いw
実際、関ヶ原の戦いでは兜が目立ちすぎて狙撃されたらしい。
うーん、こうやって見ると黒田家って面白兜が多いなぁ。
藤堂高虎 黒漆塗唐冠形兜(くろうるしぬりとうかんなりかぶと)
黒田官兵衛と共に三大築城名人(あと1人は加藤清正)に数えられ、浅井家家臣から何度も主君を鞍替えし、最終的に徳川家重臣に上り詰めた武将、藤堂高虎。
彼の兜はすごいです。
インパクトでかいけど、とにかく付け根が弱そうw 振り向いたりしたら隣の人に当たっちゃいそうだしw
所有してただけで実際に戦場で使ったものではないと思いますが、銅像では採用されてるんですよね。
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加藤嘉明 銀箔押富士山形張懸兜(ぎんぱくおしふじさんなりはりかけかぶと)
関ヶ原の戦いでは黒田長政の近くに布陣し、西軍主導者の石田三成と直接対決しています。
そんな彼の兜がこちら。
イカ? イカですか? いいえ、富士山です。
蒲生氏郷 黒漆塗燕尾形兜(くろうるしぬりえんびなりかぶと)
六角家からの人質として織田家に入り、信長に才能を見抜かれて人質なのに信長の娘と結婚して織田家一門に取り立てられたという蒲生氏郷。織田家家臣時代は多くの戦場で武功を上げたようです。
そんな彼の兜がこちら。
か、かっけー! バットマンですか? いいえ、ツバメです。
本多忠勝 鹿角脇立兜(しかつのわきだてかぶと)
最後は戦国きっての猛将、本多忠勝。生涯無傷の武将として知られます。なんと一万の軍勢に単騎で突撃して無傷だったとか。
そんなすごい忠勝さんの兜がこちら。
し、鹿ですか? はい、鹿です。
つーか、こんな目立ってたら狙われやすいだろ。マジで生涯無傷だったの?
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