いよいよ明日からNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」が始まりすよー。
今年はみるぜ!マジで。
・・・と、実は昨年の「八重の桜」も同じ意気込みで迎えたんだけど結局一話も見ずに録画だけが4か月分たまったところで無念のリタイア
そんなわけで今年こそはマジで見るために予習したので、官兵衛の主要エピソードを紹介します。
黒田官兵衛
歴史の教科書に出てこないせいかイマイチ知名度が低め。だけど戦国きっての知将で、秀吉が天下を取れたのもこの人がいたからなんだとか。信長の野望やってた人は能力値の高さで知ってる人が多そうだけど。
ただ、その恐るべき知能のせいで秀吉に恐れられてしまうという不遇の人でもあったようです。
黒田官兵衛は通称で、諱は黒田孝高(よしたか)、出家後は黒田如水(じょすい)となってます。
黒田官兵衛とは (クロダカンベエとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
竹中半兵衛
なんかごっちゃになるんだけど秀吉の側近には竹中半兵衛という武将もいます。こちらも秀吉の軍師として知られ、二人は「両兵衛」「二兵衛」と称されたとか。
ただ半兵衛の方は病弱で若くしてなく亡くなってます。個人的には秀吉の天下取りの前半部分は竹中半兵衛のおかげ、そして後半部分は黒田官兵衛のおかげじゃないかなと思ってます。まぁこんだけ優秀な人材を味方にすることができた秀吉がやっぱり一番すごいのかな。
あとこの二人には有名な逸話があります。
官兵衛が謀反を起こした荒木村重を説得しようとするも失敗して囚われてしまい、戻ってこないのは官兵衛も謀反に加わったからだと信長が激怒して官兵衛の息子の処刑を命じます。そこで処刑したことにしてこっそり匿っていたのが半兵衛でした。もちろんばれたら自分の身もヤバいです。一年後に官兵衛は救出され、半兵衛が命がけで息子を守ってくれたこと知って感謝するも、半兵衛はその半年前に病死していたという。
竹中半兵衛とは (タケナカハンベエとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
高松城の水攻め
あの有名な豊臣秀吉による備中高松城の水攻め。あれも官兵衛が秀吉に進言したのだとか。うーむ恐るべし官兵衛。言うは易く行うは難しで、実際に水攻めを実行してしまうあたりは秀吉もさすがだ。
そしてこの水攻めの最中、あの本能寺の変が起こります。
http://www.city.okayama.jp/kitaku/takamatsu/takamatsu_s00024.html
中国大返し
本能寺の変で信長の討ち死にを知り、途方に暮れている秀吉に「御運が開かれる機会が参りましたな」と進言。敵対していた毛利とすぐさま和睦し、あの中国大返しの手配までしたという。この辺りの冷静かつ冷徹な判断が秀吉には脅威に感じたようです。
実は本能寺の変も官兵衛が仕組んでたとかありそうで怖い。危うく息子を殺されるところだったとかで恨んでそうだし。
小田原城無血開城
秀吉天下取りの最終段階にも官兵衛が活躍します。北条氏政・氏直父子の小田原城に単身乗り込み無血開城を成功させたのだとか。つーか懲りないね。また失敗して閉じ込められちゃうかもしれんのに。。。
関が原の戦い
1600年、ついに天下分け目の戦、鳴くまで待った徳川家康と石田三成の総力戦がスタートする。
官兵衛はこの戦いは長期戦になることを見込んで自分は九州に留まり、中央の混乱に乗じて自分は九州を平定し、総力戦で疲弊しきった徳川家康を討とうとしていたのだとか。
ところが東軍(徳川軍)にいた黒田長政(半兵衛に救われた官兵衛の息子です)の活躍もあり、たった1日で決着がついてしまう。皮肉にも息子の大活躍で最後の大勝負の目論見が外れてしまった官兵衛。
後付けの創作らしいけど、家康に手を取って感謝されたと報告してきた長政に対して、何故空いた手で家康を刺さなかったのか、と叱ったとか。
人志松本のすべらない話
以上のような話をダウンタウン松本人志が『人志松本のすべらない話』内で面白おかしく語っています。やっぱり話し方うまいなぁ。
こちらがその時の映像。いつまで残るか分からないが。。。
松本人志 黒田官兵衛 - YouTube
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